【昔を語ろう会】なんば粉ってなあに?(食事の話)
今回の語ろう会は
時代が違えば食事も違う。
あの頃、普段のご飯はどんなものを食べてましたか?というお話です。
※コーナー名の「昔を語ろうかい(会)とは
生野地区(生野小学校校区)に実際に住んでいる方に集まって頂いて、昔のこの地域の様子を座談会形式でリアルに語ってもらう!という会のことで、それを記録する為、そのまま新コーナーとしました
みなさんの記憶をたどって、ゆる~い雰囲気でお話ししてもらう為、あいまいな場合・事実とは異なる場合があるかもしれないことをご了承ください
ちなみにですが、この会は地域の方なら誰でも参加することが出来ます
~今回の語り部~
※( )の数字は居住年数です
豆粕のごはん。大豆をね油を取ってぺったんこになるの。それを配給でくれるから、ご飯に混ぜるの。
そうそうそう、そんなん。そんなんを、お米無しでそれだけで食べる。
あと、さつまいもと南京(かぼちゃ)。主食の代わりね。
これが好きやってのはないわね。お腹は空いてたから食べるだけで。
とうもろこしの粉ね。練ってもね、あれパッサパサになるのよね。
パン屋さんにもっていって、パンとかえっこしてもらうの。それをパンにしてもらうとかね。
いやー、あの時分の食料品をお商売にしてはったところってのはね…食料品を横流ししたりとか。色々あったんだと思いますよ。
終戦後の話やけど、いまの池田家具店のところ、前はパン屋さんで。コッペパンをこう切って割って、そこにジャム挟んで売りはるの
私は兄弟もいてへんかったから、取り合いとかはなかったけどね。魚煮たり…煮物が多かった。あと菜っ葉の炊いたんとかね
あの頃はサンマとか鯖とか安かったんよね。背中の青いお魚は。大衆魚やからね
この辺は養鶏場も多かったみたいですけど、たまごのお料理とかはどうですか?
そうそう。昔は病気になったときだけちゃう?たまごとかバナナとかはね。
たまごはお見舞いにもっていったよ。箱入れて籾殻(お米の皮)入れてね。たまごをちょこちょこっと並べて。
お肉と玉ねぎとお醤油で炊いてご飯にかけてよく食べさせて貰ったね。
イワシ炊いたんと菜っ葉炊いたんと、必ずお漬物と。いまみたいにおかずが沢山あるわけじゃないから、ご飯が主でね。ご飯3杯くらい食べたね。最後の一杯はお香々…お漬物ね。お茶漬けで。
お漬物はみんな家で漬けてたもんね。大根もこうガバッと買ってきてね。葉っぱの芯を3本か4本か縛ってぶら下げておいて。ちょっとしなしなになるまで。それを糠とお塩で漬けるねんね。
それが主婦の役目やったんや。梅干しやらっきょもね、家で漬けるし。
うちは釜やったよ。薪やった。小学校2年ぐらいやったかな。ガスになったのは。
ガスはうちはお嫁にきたときはあってん!昭和30年にお嫁にきてね。でも水道はなかってん。まだ水道は通ってなかったの。うちの横に井戸があって。こう、ポンプで。水だけ汲んで持っていくの。
うちは水道はあったけど、共同水道やったわ。4件で使ってた。冷蔵庫もなかったから、それこそスイカとかも井戸水で冷やして。
あと、田んぼの刈りはったあとだと、タニシがおるでしょ?あれが美味しい。茹でてキュッととってね。美味しい
外食なんていうたら、昔は罪悪感で。誰やら言うてたけどな、うどん屋さんに入ったら、外を姑さんが通らはってビクッとしたなんて(笑